カテゴリー「思い出話」の記事

再会

今日もありがとうございます。塾長です。

春期講習は11日目、明日で終了です。

大根中と鶴巻中の中間テスト予定を確認したので、それに合わせて全国模試の日程を確定しました。

前倒し日程になります。

詳細は各生徒に配布しています。

ゴールデンウィーク直後の中間テストは、私たちにとっても辛いです。

ちょうど1週間、休校となるため、テスト対策がしにくいからです。

そのため今年は、連休の土日をテスト対策補講で開けることにしました。

安穏とした連休とはならないようで、新年度もまたハードなスケジュールでのスタートとなりました。

先日、息子の小学校の入学式で2つの再会がありました。

1つ目は昔、当校で働いていた先生です。

その先生は大学卒業後、その小学校に赴任しており、塾生から色々と話は聞いていましたが、直接会話したのは10年ぶりです。

担任にはならなかったのですが、挨拶すると、10年前よりかなり成長した応対をしてくれました。

2つ目が、かなりレアな驚く再会でした。

近づいてきた保護者らしき男性、なんと私が学生時代に講師をしていた塾で、一緒に働いていた人だったのです。

その人は、講師の中でも図抜けた教務力と、何と言っても生徒思いの性格で、8歳年上の私が、一目置いていた存在です。

秦野に来たばかりの私に、色々とグルメなお店を紹介してくれ、一緒にご飯を食べにいった記憶などがあります。

その人のお子さんが、うちの息子と同じクラスだったという偶然なのですが、さらにその隣にいた奥さんが、同じ職場の人でした。

この方にもお世話になったのですが、はっきり言うと、私が講師の応募をして、採用してくれたのが、この奥様(当時の室長)です。

旦那さんと奥さんと私は、教務に対する価値観が似ており、同時「コ・ベ・ツ」と謳えば集客でき、塾の質など問わないような時代に、本当に生徒や教室のことを考えている人たちだと、感心したものでした。

今でも、応募の面接の最後の質問は覚えています。

「鈴木さんにとって教育とはなんですか」

「教育って、自分が相手に教えているように見えますが、実は自分のほうが学ぶことが多いです。ですから私は、教わるつもりで生徒と接します」

これは、師と仰ぐ赤塚不二夫先生から学んだことで、全ての人の良いところを見て吸収するという姿勢を、仕事に活かしていた私の考え方だったのですが、今でもその姿勢は変わっていません。

私が塾業界でご飯を食べるきっかけとなった、いわば恩人とも呼べるお二人との再会でした。

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同級生たち

いつもありがとうございます。塾長です。

テスト2日目。

最近ちょっとした案件で大学の同級生や後輩たちと連絡を取っています。

連絡してきてくれた仲間に久しぶりに近況を聞くと、年齢的にも重要なポストで働く人が増えているようです。

また、家でも仕事でも、皆、日々苦労を乗り越えながら生きているようですが、当時と比べ、しっかりとした社会人になっていると感じます。

大学で学んだ内容を生かしている人もいれば、そうでない人もいますが、間違いなく言えるのは、大学で過ごした4年間という月日が、今の同級生たちの生活を支えているような、そんな気もしました。

これからまだ、同級生たちから連絡が来ると思いますが、近況を聞くことが楽しみです。

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5年前~成人~5年後

いつもありがとうございます。塾長です。

本日より通常授業再開です。

昨日の中3模試では、個別だと滅多に全員同時に話をすることができないので、模試前、休憩時間、そして模試後に、伝えるべきことを話しました。

しかし、話したいことが多すぎ、時間が足りなかったです。

休憩時間の使い方一つとっても意識の差があり、次の休憩時間を潰してお説教、というように話がどんどん増えていきました。

また、模試の監督だった主任講師たちもそれぞれ有難いお話をしてくれて、受験生にとっては良い1日となったでしょう。

模試後は、元講師が北海道から来たので、当時のメンバーが横浜などから集まり、そこへ模試の監督をした講師たちも加わり昔話に花を咲かせました。

5年前の金曜日担当講師が勢ぞろいし、当時の授業後と同じ風景を懐かしんでいました。

今日は成人の日。

その5年前の講師たちに習っていた塾生のうちの二人が、今講師で頑張ってくれており、本日成人式です。

月日の流れと、教室の伝統が今の講師たちに伝わっていることを考えると、非常に感慨深いものがあります。

私も今日は授業があるのですが、今私が教える生徒たちが5年後に、教室で後輩たちを指導してくれることを念頭に、闘魂注入したいと思います。

北海道から来た元講師も数日滞在するらしく、久しぶりにその腕を見せてもらおうかとも考えています。

これを読んだ卒業生の皆さん、旭川から来たあの先生に会えるかもしれませんよ。

是非教室へお越し下さい。

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科学的に

今日もありがとうございます。塾長です。

インフルエンザが流行り始めたと書いた途端、ニュースでもその話題になっていました。

これは私の完全なる主観ですが、入試が近くなると受験生は、風邪やインフルエンザにかかりにくいような気がします。

風邪は体調管理で何とかなりそうですが、インフルエンザは学校など大人数が一緒に長時間いる場所では、予防で確率を下げられても、罹ってもしょうがないとも言えます。

しかし毎年自分の教室の生徒たちを見ていて、受験生はその確率が低いと思うのは私だけでしょうか。

そこには、何か目に見えない力が働いているような、それが根性や執着心などだとしたら、科学が未だ解明していない人間の神秘のメカニズムかもしれません。

「そんなばかばかしい。」と思わずに研究することから、新しい発見が生まれます。

それを託す今年の受験生たちは、本日模試です。

風邪にも負けず無事に全員受検してくれることを祈ります。

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マンゴーの思い出

今日もありがとうございます。塾長です。

昨日は卒業生から教室が開いていないかメールが来たのですが、頭を下げながら返信しました。

高校生の期末テスト期間は、中学生とずれることも多く、教室事情で土日を開けられない日と重なることもあります。

卒業して何年経っても駆け込める場所でありたいと運営していますが、無理をしすぎると長続きしないので、1ヶ月ぶりにそろばん以外は教室の休校日としました。

それでも終わらせるべき仕事が終わっていないので、夏期講習準備を続けています。

久し振りに家族で外食したのですが、そこでマンゴーを売っていました。

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台湾産のアップルマンゴーでしたが、思わず懐かしく買ってしまいました。

四半世紀も前のことですが、フィリピンにいたことがあります。

まだまだ発展途上で、しかも滞在していたのがトンド・ストリートというスラム街。

治安が悪すぎて、タクシーの運転手ですらそのストリートに近づくと、中には入らずお客さんを降ろして帰ってしまうような場所でした。

思い出と言えば、ひたすらマンゴー(主に緑色でした)にバゴオンというアミの塩辛のようなものをつけて食べていたことです。

明日生きるか死ぬかという子どもたちがたくさんいましたが、今の日本の子どもたちより、目が真剣だったような記憶があります。

何故だか考えてみて思い当たることは、

「生きる」ということが「当たり前の世界」と、「奇跡の世界」の違いでしょうか。

アフリカなどでは飢餓により、もっと子どもの死亡率が高いでしょうし、当時のフィリピンは米軍基地が多く、それらの経済効果もあり、そこまで飢餓がひどいということはありませんでしたが、スラム街の子どもたちの生活は、バブルの日本から来た私にとっては衝撃的なものでした。

そこで生きる(すなわち死なない)ためには、日本人だとわからないようにしなければなりませんでした。

私は貧乏でしたが、一般的に日本人はお金持ちと思われていたので、強盗に狙われるからです(注:フィリピン全てではありません。あくまで当時のスラム街の話です)。

お蔭で会話しても現地人と区別がつかないほどタガログ語は上達しましたが、今同じ環境に身を投じたら生きていく自信はありません。

ちなみに言葉は、20年も経てば使わないと忘れます。

3年ほど前にフィリピン人と会話したのですが、3割くらいは通じず、聞き取れませんでした。

留学もいいかもしれませんが、会話の上達を目的とするならば、語学留学よりも「現地で生きること」をお勧めします。

生きるためには必死になるので、上達は早いです。

誤解の無いようにお断りしておきますが、危険な環境に身を置きなさいと言っているのではありません。

たまたま私が危険な環境にいただけであって、学校の中の会話と、生きるために行う会話では、私は後者のほうが必死な分だけマスターするのが早いと感じているということです。

というようなことを考えながら、写真の通り当時教わったように切りましたが、初物を恐れる息子は食べませんでした。

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まだまだ

いつもありがとうございます。塾長です。

何歳になっても学ぶことは多いですね。

まだ22歳くらいの頃でしょうか。

4階建て鉄筋コンクリートの建物の新築現場の監督をしていました。

個人住宅です。

まさにバブルの時代ですね。

その時に75歳を過ぎた現役の大工さんが助っ人で来たのですが、

「40(歳)、50(歳)はまだ赤ん坊、60(歳)は鼻たれ小僧だ。70(歳)過ぎてやっと成人式。これからが青春だ。」

と、良く言っていました。

20代や30代なんて、彼にとっては全く生まれる前のような話です。

年を重ねてそのような思いに至ったのでしょうが、それが名言かどうかは、私自身が70歳を過ぎないとわかりません。

つい最近も、どの人がどういう気持ちを持っているか、普段は分からないけれども、あるお願いに色々な所に出向いたり電話して、身に染みてわかることがありました。

塾生よりも多くの時間を割いて、まだまだ私の勉強は続きます。

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息子の先生

今日もありがとうございます。塾長です。

「○○さんって昔の教え子にいなかった。」

妻から聞いたのは、私が他の塾で講師をしている時の担当だった生徒の名前でした。

子どもが音楽教室に通っているのですが、その担当の先生の名前が同姓同名です。

漢字を確認していないのですが、妻が話す先生の容姿は、その教え子に似ているような気もします。

私は昔から、教え子とは仲が良かった(つもり)ので、高校生になってからも、勉強や進学以外に恋愛相談などに気軽に応じていました。

しかし、彼女が大学時代に、私がその学部のTA(教授の手伝い)をしていた時に数回会ったのが最後で、以降のことは知りません。

数えてみると、中3生だった彼女ももう26歳、ありえなくもない話ですが、もし息子の先生になっているとしたら、非常に感慨深いですね。

妻が言った一言は

「私たちも年をとったわね。」

うん、その一言が全てでしょう。

本当にその教え子かは定かではありませんが、機会があったら会ってみたいものです。

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母のipadと伯父の涙

今日もありがとうございます。塾長です。

母親から電話がありました。

母の日に贈った花のお礼の電話だったのですが、加えてちょっと驚く報告が。

「あんたがブログで頑張っているらしいと練馬の伯父さん(母の兄)から聞いたから、それを読もうと思ってipadを買った。」

というような内容だったと思います。

ipad買ってまで読むような内容ではないと言っておきましたが、複雑な心境です。

齢80になる伯父は、私の命の恩人で、今でも頭が上がりません。

高校中退して家出し、ホームレス同然の生活をして、もうこれ以上生きていけないという限界の時に、私を拾って、説教もせず、何も言わずに家においてくれたからです。

伯父の家にいる時も何もせず、結局従兄弟にボコボコになるまで殴られたのは、今となっては笑い話ですが、そのせいで結局また伯父の家も飛び出してしまいました。

私は自分の親戚が好きではありません。

小さい時からお調子者だった私は、優秀な兄とよく比較されることが多く、小さいながらに傷つくことが多かったです。

特に、兄が進学した埼玉県立川越高校に私が落ちて、滑り止めの立教高校(現在の立教新座高校)に入学したあたりから、格段に兄と差がついたと感じ、それ以降親戚の集まりには顔を出さなくなりました。

数年前、埼玉県内の大手進学塾に就職した元講師にその話をしたら、首をかしげて「立教のほうがカワタカ(川越高校)より偏差値高いはずですよ。」と言われたのを思い出し、今調べてみました。

確かに今は、川越高校偏差値69で、立教新座は71みたいですね。

しかし私の時代は立教のほうが遥かに入りやすかった記憶があります。

それはさておき、とにかく、「兄より優れた弟など存在しない」(北斗の拳:ケンシロウの兄ジャギのセリフ)と同じような親戚の中の雰囲気が、私を段々遠ざけるようになりました。

私の親戚嫌いを母も知っているのか、数年前のある親類のお通夜で母が、「あんた、○○さん(親戚)にちゃんと挨拶してらっしゃいよ。」と言われたほどです。

40歳過ぎて、会社を経営し、世間では塾長などと言われている男が、いくら嫌いだからとはいえ、まともに挨拶もできないとは、社会人としはどうなのかと、皆さんがっかりでしょうね(笑)。

そういう人間なんですよ、私は。

しかし、件の伯父だけは、私がどん底の状態にあっても、何とか助けようと手を差し伸べてくれ、私が医学部を受験した時も、開業した時も、偏見の目で見ることなく、常に応援してくれていました。

いまだに何の恩返しもしていませんが、昨日、母親へと同時に伯母に花を贈ったのが届き、久しぶりに電話で話をし、その時に、「ブログでいつも活躍を読んでいるよ。昔から、いつかは大物になると思って見守ってきたけど、本当に凄いじゃないか。諦めないで頑張って良かったな。」と電話口で涙しながら話してくれました。

心に熱いものがこみあげましたね。

さらに、私の息子の写真を、自分の孫の写真と並べて飾ってくれてあるらしく、それを毎日見ながら、「ここまで来られて良かった。」と思ってくれているそうです。

元お調子者の私は、「伯父さん、私の出世はこれからですよ。だからもう少し長生きしてみていて下さい、。私が頭打ちでも息子がきっとやってくれますから。」と、また余計な風呂敷を広げておきました(笑)

書いていて結局、私が昔どうしようもない人間だったということを暴露しただけですが、これを読んだ講師たちはきっと「塾長、今でもどうしようもないじゃないですか。」と突っ込んでくれると思います(笑)。

そうですね。昨日も書類は縦に積まないで横に並べたほうが・・・と突っ込まれたばかりですから(笑)。

で、結局何が言いたかったのかといいますと、これからは母親の検閲も受けるのかと、書きにくくなるなと、そういうことです。

しかし今の私は、過去の様々な経験を糧にして、信念を持って学習塾を経営し、信念を持って生きています。

書いて恥ずべきことなど何もないと、同じスタンスで続けていくつもりです。

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携帯電話の電池残量

今日もありがとうございます。塾長です。

中学1年生は、部活動の仮入部期間です。

今まで一番下だった新中2生も、やっと後輩が入部してきて、「先輩」としてふるまえるようになったようです。

部活動は、その学年によって人気不人気があるのでしょうか。

昨年新入部員がたくさん入った部も、今年はそうでなかったり、たくさん入部しても、1年経ったら殆どいなくなってしまったりと、色々とあるようですね。

教室でも最近は、講師と生徒の間でそのような話が聞こえてきて、聞いているとおもしろいです。

しかし昨日は、教室を開けてから授業が終了するまでおよそ7時間、塾長席に座ることは殆どできず、授業の様子を確認することができませんでした。

理由は、来客と電話応対です。

電話も来客も、半分以上が浸水関連でしたが、その中にも、入塾手続きの保護者様との面談や、体験授業の保護者様との面談もありました。

携帯電話の電池残量がこれほど少なくなったのは20年ぶりくらいで、昔、建設会社の番頭をしていた頃を思い出しました。

当時、大手ゼネコンの下請けをしていたのですが、技術力では他社に敵わないと思った私は、ひたすら、ゼネコンの現場監督などの御用聞きをしていました。

それこそ、自分が失敗した仕事でもないのに、代わりにお客様の所にお詫びに行ったり、プライベートでその人たちの家族の送迎や、その他色々と「便利屋」として動いていました。

するとそのうちに、当時30人くらいいた現場監督の多くが、「困ったらとりあえずスーさんに電話。」というような状況になってきたのです。

私は、技術を売らずに「私自身」を売ることに成功しました。

現場監督と言えども、マンション建設など結構大きな予算を扱っている人たちですから、発注で業者を選定する時に、「しょうがないから今回は○○(私の会社)に発注するよ。」と仕事をもらい、結果的に私が営業を担当した翌年には、会社の売上高を1.5倍にしました。

ちなみに当時の営業は私一人です。

その頃、携帯電話を3台持って、色々と使い分けていたのですが、今日久しぶりに電話の電池残量を見て、当時のことを思い出しました。

偶然と言うか必然と言うか、当時の取引先銀行の担当者で、意気投合し、お互いに職を変えた後も友人としてつきあっているソニー生命横浜第3支社の野田さんが、浸水の知らせを聞きつけ昨日駆けつけてくれました。

彼も、商品を売ることや営業成績より、相手が何をしたら喜んでくれるかということを、当時から考えていたので、18年経った今も、同じ考えに共感し、つい長話となってしまいました。

そんな思い出にふけっている場合ではないのです。

どんなに仕事が増えようとも、塾長としてやるべきことをきちんとこなしていかなければ、卒業生に偉そうに説教する資格がなくなってしまいますからね。

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あの頃は

今日もありがとうございます。塾長です。

一週間ぶりの休校日です。

生徒が来ない教室ですが、仕事はあるので、一人で出勤します。

思えば昔、サラリーマンだった頃、週休2日という言葉に憧れていました。

知人や周囲の会社は殆ど、週休2日で祝日も休みだったのですが、私の勤務する会社は日曜日しか休みがありませんでした。

勤め人なので、その会社の規定に従うことは当然であり、その代償として給料や福利厚生があるので、愚痴は言っても従うしかありませんでした。

ただ、少しでも楽な暮らしがしたいという思いで、ひたすら働き結果を出して、10年で取締役になり、ある程度自由な生活ができる立場になりました。

しかしいざ役員になってみると、社員やその家族たちを養っていくために、結果的にはより多く仕事に時間をかけるようになっていたのです。

今は経営者ですから、何でも自由にできるのですが、経営者だからこそ、働いてくれているスタッフやお客様(生徒や保護者様)のために、一番働かなければいけないと思っています。

そう思うと、休日出勤だろうが残業だろうが、あまり苦にはなりません。

ただ、関わった人たち全員が幸せになり、結果的にその幸せが自分に返ってくることを考えて、日々過ごしています。

現在口内炎ができており、夏期講習の疲れが出ているのは明白です。

確かに勤務時間も長く、仕事量も多い季節講習は大変です。

しかしサラリーマン時代に比べると、ストレスは非常に少なく、楽しく仕事ができていると日々実感しています。

というようなことを考えながら教室に一人でいると、全く仕事が進みません(笑)。

はい、気を付けて頑張ります。

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