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マンゴーの思い出

今日もありがとうございます。塾長です。

昨日は卒業生から教室が開いていないかメールが来たのですが、頭を下げながら返信しました。

高校生の期末テスト期間は、中学生とずれることも多く、教室事情で土日を開けられない日と重なることもあります。

卒業して何年経っても駆け込める場所でありたいと運営していますが、無理をしすぎると長続きしないので、1ヶ月ぶりにそろばん以外は教室の休校日としました。

それでも終わらせるべき仕事が終わっていないので、夏期講習準備を続けています。

久し振りに家族で外食したのですが、そこでマンゴーを売っていました。

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台湾産のアップルマンゴーでしたが、思わず懐かしく買ってしまいました。

四半世紀も前のことですが、フィリピンにいたことがあります。

まだまだ発展途上で、しかも滞在していたのがトンド・ストリートというスラム街。

治安が悪すぎて、タクシーの運転手ですらそのストリートに近づくと、中には入らずお客さんを降ろして帰ってしまうような場所でした。

思い出と言えば、ひたすらマンゴー(主に緑色でした)にバゴオンというアミの塩辛のようなものをつけて食べていたことです。

明日生きるか死ぬかという子どもたちがたくさんいましたが、今の日本の子どもたちより、目が真剣だったような記憶があります。

何故だか考えてみて思い当たることは、

「生きる」ということが「当たり前の世界」と、「奇跡の世界」の違いでしょうか。

アフリカなどでは飢餓により、もっと子どもの死亡率が高いでしょうし、当時のフィリピンは米軍基地が多く、それらの経済効果もあり、そこまで飢餓がひどいということはありませんでしたが、スラム街の子どもたちの生活は、バブルの日本から来た私にとっては衝撃的なものでした。

そこで生きる(すなわち死なない)ためには、日本人だとわからないようにしなければなりませんでした。

私は貧乏でしたが、一般的に日本人はお金持ちと思われていたので、強盗に狙われるからです(注:フィリピン全てではありません。あくまで当時のスラム街の話です)。

お蔭で会話しても現地人と区別がつかないほどタガログ語は上達しましたが、今同じ環境に身を投じたら生きていく自信はありません。

ちなみに言葉は、20年も経てば使わないと忘れます。

3年ほど前にフィリピン人と会話したのですが、3割くらいは通じず、聞き取れませんでした。

留学もいいかもしれませんが、会話の上達を目的とするならば、語学留学よりも「現地で生きること」をお勧めします。

生きるためには必死になるので、上達は早いです。

誤解の無いようにお断りしておきますが、危険な環境に身を置きなさいと言っているのではありません。

たまたま私が危険な環境にいただけであって、学校の中の会話と、生きるために行う会話では、私は後者のほうが必死な分だけマスターするのが早いと感じているということです。

というようなことを考えながら、写真の通り当時教わったように切りましたが、初物を恐れる息子は食べませんでした。

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