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赤塚不二夫に教わったこと2

おはようございます。いつもありがとうございます。塾長です。

昨日の教室は、一人の欠席もなく、ずっと満席状態でしたが、面談で自習室を使っていたため、自習に来た生徒には少し迷惑をかけてしまいました。

昨日は、横浜で開校予定の方が、本部の名取さんと一緒にいらっしゃいました。

100728_210101 このブログを読んで下さっているらしく、差し入れの話が時々出てくるので、かなり気を配ってこの差し入れを選んで下さったそうです。

講師全員で、美味しく戴きました。ちなみに教室長は洋ナシのアレルギーがあるため食べられませんでした。

その方との面談で、私の経営方法について、「どうしてそのような普通は思いつかないようなアイデアを思いつくのですか。」と質問を受けました。

私が経営に応用しているのは、「加賀屋の流儀」ですが、いろいろなアイデアを思いつくのは、やはり師匠であった漫画家の故赤塚不二夫先生の影響が大きいです。

以前のブログ「赤塚不二夫から教わった国語」でも少し触れましたが、赤塚先生からは、本当に色々なことを学びました。

特に、それが経営に活かされているなと実感したことはないのですが、私が会うほとんどの人は、「そんな経営方法思いつかない。ありえない。」などと言います。

そのアイデアは、やはり昔赤塚先生の下で培われたものに間違いありません。

いくつか当時の先生のエピソードを思い出したので、紹介します。ちなみに、以降登場する「三茶」は、当時私が先生から呼ばれていた名前です。

「三茶、今年の漫画集団の忘年会は9月にやることにしたよ。どうせやるなら日本一早い忘年会の記録を作ってみたいからね。」

ということで、先生は、漫画集団(漫画家の組合みたいな集まり)の忘年会の幹事だった平成2年に、竜の湯という自宅近くの銭湯を借り切って、9月に忘年会をやってしまいました。

私は手伝いで参加したのですが、出し物の中には、超大物の漫画家さんが、ただひたすら大量の納豆の中で踊り続けるなど、度肝を抜く内容だったのを覚えています。

また、氷下魚(コマイ)という北海道産の魚の干物を食べていた時のこと、その座にいた一人が、あまりにもきれいに干物の皮を剥くのを見て、「よし、誰が一番きれいに剥けるか競争しよう。」との先生の一言で、それぞれが皮を剥いて、それをビニール袋に入れて、先生の家の壁に張り付け、品評会をしたことがあります。

その後も、来るお客さんに氷下魚を出して、皮を剥かせ、ビニール袋に入れて作品を増やしていき、終いには、「これで一句ひねって、自分の皮に並べよう。」と、その干物の皮を見て俳句を作ることになりました。

私が、「先生、なんでこんなことをするんですか。」と尋ねると、先生は、「三茶ねえ、人が面白いって言ったものを真似してもつまらないでしょ。意味があるかないかを考えるより、やってみて面白かったら、それで意味があることになるでしょ。漫画の名作だって、そうやって生まれてきたの。」という答えが返ってきました。

とにかく、他人が思いつかないようなことを考え、それを実行するという破天荒ぶりは、さすがにギャグ漫画のパイオニアと言われる人だけあるなと、ひたすら感心していました。

また、先生は上下関係なく、面白い人や面白いこと、優れている事柄に対して、理屈抜きで感心し、褒めるということする人でした。

例えば、当時アシスタントのチーフだった峰松さんという人が、先生のサイン色紙を描いたのですが、それを見た先生は、「峰松、俺より上手いよ。」と、本家が弟子に太鼓判を押していました。

また、理由は忘れましたが、演歌を作れと言われた私は、演歌の歌詞を即興で作って先生に提出したのですが、その時も「三茶、すごいね。お前いい才能持ってるよ。」と褒めてくれ、その後も色々と課題や試練を与えて下さいました。

私が今講師たちを、部下と思わず、大事なパートナーと思い、彼らの失敗は気にせず良い所だけを評価しているのは、明らかに先生の影響ですね。

まだ、先生に関するエピソードは尽きないのですが、長くなるので、またの機会にします。

秦野市・平塚市・個別指導・塾

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コメント

塾長!!こにゃにゃちは!!
そうですかっ!!あの赤塚先生とお付き合いがあったのですね。道理で人とちょっと違うなと・・・
先生はみなさんの心の中で生き続きているのですね。

投稿: 松屋っす | 2010年7月29日 (木) 10時51分

松屋さま

コメントありがとうございます。

そうなんですよ。師匠と言っても私が教えを受けていたのは主に俳句と落語なんですけどね。

それでもフジオプロに出入りしていた7年くらいの間に、芸術以外にも色々なことを学ぶことができました。

生意気な言い方になってしまいますが、今の私の教室は、ある意味では、先生が塾を開いたらこうなるのではないかという一例かもしれません。

投稿: 塾長 | 2010年7月30日 (金) 03時32分

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